Archive for the 論語 Category

論語の教え(その二〇)

6月 1st, 2016 Posted in 論語 | no comment »

之を知る者は
之を好む者に如かず
之を好む者は
之を楽しむ者に如かず

これを知っていても、これが好きな人にはかなわない。
これが好きでも、これを楽しんでいる人にはかなわない。
この事は、日常活動の全ての分野で、自分の進むべき道を見つけ深めて来た人なら誰でも知っている真実です。
「仁」を知った人は、これを利用して見ると、相手の人から喜ばれ、その姿を見て自分も嬉しくなり、更に仁を活用しているうちに楽しくなり、気が付いてみると本当の仁者になって居ると言われます。
好きな事の中から楽しい事を見付け出して行うと、どのような困難も苦労に感じないという、不思議な力が湧いてくるものなのです。
孔子は自分の姿について、「一つの事に熱中して食事を忘れ、今やっている事が楽しくて心配事を忘れ、老のまさに訪れようとするのも忘れている。』と言っています。
絵・矢貫栄子
文・佐藤敏彦
論語の教えを広める会
鎌倉論語会館
TEL 0467-50-0303

論語の教え(その十九)

5月 1st, 2016 Posted in 論語 | no comment »

民(たみ)の義(ぎ)を務(つと)め
鬼神(きしん)を敬(けい)して之(これ)を遠(とお)ざく
知(ち)と謂(い)うべし

「人としての善行(ぜんこう)に励み、先祖の御霊(みたま)や天地の神霊(しんれい)を尊敬し、安易に神仏に近付いて御願いしたりしない。この事を知る者が、道理を弁(わきま)えた本当の知者と言える。」と、孔子は教えます。
「民(たみ)の義(ぎ)」は、人間として踏(ふ)み行なうべき道であり、親としての子への慈愛や、子としての親孝行等の善行です。
死ぬ事を鬼籍(きせき)に入ると言いますが、祖先の霊魂(みたま)と天地の神様には馴々しく近付いて御願いするべきではなく、畏敬(いけい)の念をもって遠くから御尊敬するべきものなのです。
自分の力では出来ない事が適(かな)うようにと神様や仏様に御願いする事は、依頼心を深め、自立心を弱めます。
神仏への祈願よりも、人として行なうべき善行に励み人格を磨きなさいと孔子は教えています。
神様や仏様の力に頼らず、善行を積み、知能と技能を磨く事は、正しい判断力と実行力を強め、自立の気力を湧き起こします。
これは社会に役立つ人間に成長する根源です。
築刻・今泉眞知子
文・佐藤敏彦
論語の教えを広める会
鎌倉論語会館内

論語の教え(その十八)

4月 1st, 2016 Posted in 論語 | 6 comments »

之(これ)を知(し)るを之(これ)を知(し)ると為(な)し
知らざるを知らずと為せ
是(こ)れ知(し)るなり

之(これ)を知(し)るを之(これ)を知(し)ると為(な)し 知らざるを知らずと為せ 是(こ)れ知(し)るなり

之(これ)を知(し)るを之(これ)を知(し)ると為(な)し
知らざるを知らずと為せ
是(こ)れ知(し)るなり

これは孔子が長老クラスの門弟に「知ったか振りをしてはいけない。」と厳しく諭したときの言葉です。
知っている事と知らない事とを、はっきりと認識しておかないと、知識は深められません。
良い教えを聞いたり読んだりしても、それを自分の物にしない内に人に話してしまうと、あだかもそれが身に付いた様に感じてしまうので、本当の徳が身に付きません。
孔子は「道(みち)に聴(き)きて塗(みち)に説(と)くは、徳(とく)を之(こ)れ棄(す)つるなり。」とも説いており、これは聞きかじりに対する戒めとして、「道聴塗説(どうちょうとせつ)」の四文字熟語で知られている言葉です。
聞いた事や学んだ事の中から幾つかの好きな事を見つけ、これを深めて行くと幾つかの楽しいものが見つかります。
この中で、人々の役に立つものを行う事が、その人の天命なのです。
知識を深める事は、私達が天から戴いている天命を探して、これを育てて行くための基本です。

論語の教え(その十七)

3月 1st, 2016 Posted in 論語 | no comment »

詩(し)に興(おこ)り 礼(れい)に立(た)ち 楽(がく)に成(な)る

「詩を読み学んで心を奮い興し、礼に基づいて行動し、音楽で調和の心を身に付けて、始めて、人は一人前の人間として完成する。」と、孔子は言っています。
孔子は、「詩」を訳して作曲し、琴を弾き歌って門弟達の志と情熱を湧き興しました。
中には、日常の生活で詩を鼻歌の様に歌う門弟も居ります。
若い門弟達が高い志と情熱で行動を始める時、「礼」を学んで、どのような方法でこれを実行に移すかを知らなければ、必ず失敗してしまいます。
若く情熱に燃える程、「礼」による恭敬・謙譲の教えが必要なのです。
相手を尊敬する心が基本にあり、これをどの様に言葉と態度で現すかを学んで修得しなければなりません。
一方、「礼」だけではゆとりの無いギスギスしたものに成りますので、「音楽」を学んで、人と人との調和を取る心を修得する必要が有ります。
孔子の求める理想の人間像「君子」は、この様にして完成します。
築刻・今泉眞知子
文・佐藤敏彦
論語の教えを広める会
鎌倉論語会館内

論語の教え(その十六)

2月 1st, 2016 Posted in 論語 | no comment »

己(おのれ)に克(か)ちて
礼(れい)に復(かえ)るを仁(じん)と為(な)す

「自分のわがままな欲望に打ち克ち、礼に従って行動する事が、仁を行なっている事になる。」と孔子は言います。
礼は、人を尊敬し、人を思いやる心が形になって表れたものです。
尊敬の心は忠(ちゅう)であり、思いやりの心は恕(じょ)ですから、忠(ちゅう)と恕(じょ)は「仁」の心の基本である事を考えると、礼と仁は表面と内面の関係と言えます。
孔子はこの後で、「礼に非(あら)ざれば視ること勿(な)かれ、礼に非(あら)ざれば聴くこと勿(な)かれ、礼に非(あら)ざれば言うこと勿(な)かれ、礼に非(あら)ざれば動くこと勿(な)かれ。」と教えてます。
各地の庚申(こうしん)塚や、日光東照宮の陽明門にある、「見ざる・聞かざる・言わざる」の猿の彫物は、無礼な事に慣れ親しまないように、三猿(さんざる)の姿で処世術を示したものです。
短歌は、「心の花」鎌倉歌会代表の後藤秀彦氏にお願いしました。
俗世間にあっても、心は常に、蓮の花のように清々(すがすが)しくありたいという意(こころ)を詠(よ)んだものです。
毛薑・斎田麗華
文・佐藤敏彦
論語の教えを広める会
鎌倉論語会館内

論語の教え(その十五)

1月 1st, 2016 Posted in 論語 | no comment »

君子(くんし)は和(わ)して同(どう)せず
小人(しょうじん)は同(どう)して和(わ)せず

君子(くんし)は和(わ)して同(どう)せず 小人(しょうじん)は同(どう)して和(わ)せず

君子(くんし)は和(わ)して同(どう)せず
小人(しょうじん)は同(どう)して和(わ)せず

「立派な教養のある人格者は、人と調和して、世のため人のために役に立とうとするが、そうでない小人は、自分の利益となる人を選んで同調する」と孔子は言います。
君子と小人の違いは、人の道である「道義」に基づくか、自分だけの利益である「私利」に基づくかで決まります。
ここで言う「和」は、メンバーの一人一人が、自分の学識・経験・技術を生かして、グループの目的のために力を尽くし合う事を言います。
「同」は、主体性の無いまま集まり、考え方は合わないが自分の利益になるので、ただ調子を合わせている状態です。
「和」の状態で活躍する君子は、人のお役に立つように学術を磨いて、自分の価高めます。
志を持ち努力を続ける事で、誰でも「和」の状態に成る事が出来ます。
絵・矢震栄子
文・佐藤敏彦
論語の教えを広める会
鎌倉論語会館内

論語の教え(その十四)

12月 1st, 2015 Posted in 論語 | no comment »

礼(れい)の用(よう)は
和(わ)を貴(とうと)しとなす

礼(れい)の用(よう)は 和(わ)を貴(とうと)しとなす

礼(れい)の用(よう)は
和(わ)を貴(とうと)しとなす

「礼」は、相手を「尊敬」する心が根元にあって、それが言葉や態度に表れたものです。
孔子は、「形や言葉だけを大切にして、敬いと感謝の心の無い礼ではない」と戒めます。
「和」は、天から地から人々から、「徳」を戴いて居るので、善を尽くし「徳」で報いようとする「互恵(ごけい)」の心です。
相手の幸福を願い、互いに恵み合う心は、人々の心に深く広く感化して行きます。
和合・和睦等は、私達にとってなじみ深い言葉です。
二宮尊徳はこの「和」の心で、人々の至誠・勤労・倹約・分度・推譲等の「礼穣(れいじょう)」の心を引き出して育てて、荒廃した多くの村を復興させました。
なお孔子はこの言葉の最後で、「和」に眞れ過ぎない様に、「礼」による節度を忘れてはならないと教えています。
絵・矢貫栄子
文・佐藤敏彦
論語の教えを広める会
鎌倉論語会館内

論語の教え(その十三)

11月 1st, 2015 Posted in 論語 | no comment »

朋(とも)、遠方(えんぽう)より来(き)たる有(あ)り
亦楽(またたの)しからずや
人知(ひとし)らずして慍(うら)まず
亦君子(またくんし)ならずや

朋(とも)、遠方(えんぽう)より来(き)たる有(あ)り 亦楽(またたの)しからずや 人知(ひとし)らずして慍(うら)まず 亦君子(またくんし)ならずや

朋(とも)、遠方(えんぽう)より来(き)たる有(あ)り
亦楽(またたの)しからずや
人知(ひとし)らずして慍(うら)まず
亦君子(またくんし)ならずや

孔子は礼式と音楽を学び、三十~四十才代には祭礼の仕事で身を立てました。
朝廷から大きな祭典を引き受けた時など、遠くから仲間が駆け付けて来てくれるのは、とても嬉しく楽しいものです。
来てくれた友への感謝の心と同時に友情が一層深まります。
しかし、期待していた友が来てくれない事も有ります。
このような時でも友を怨まないのが、人格者つまり「君子」だと、孔子は言います。
何かの都合で来られなかったのかも知れませんし、来るだけの価値が無いのかも知れません。
最後の「慍(うら)まず」は、相手を怨む前に、自分を厚く責めて、自分の技量を高めるのが、「君子」の姿だと教えています。
絵・矢貫栄子
文・佐藤敏彦
論語の教えを広める会
鎌倉論語会館内

論語の教え(その十二)

10月 1st, 2015 Posted in 論語 | no comment »

学(まな)びて時(とき)にこれを習(なら)う
亦説(またよころ)ばしからずや

学(まな)びて時(とき)にこれを習(なら)う 亦説(またよころ)ばしからずや

学(まな)びて時(とき)にこれを習(なら)う
亦説(またよころ)ばしからずや

論語の一番初めにある孔子の言葉です。
オリンピック金メダルの羽生選手も、ノーベル賞の山中教授も、学んでは考え、考えては実行し、実行しては考える…を何度も操返して、研鎮を積みました。
これは時々ではなく、自分が抱いている課題について、何度も操返して学び考え実行して獲得した成果ですから、悦びは例え様がありません。
目標を高く掲げ、志を強く持って、昨日よりは今日、今日よりは明日と自分を高める悦びは、本当の生き甲斐です。
自分自身への内面的向上心は、他人との競争とは違って、自分の限界に挑戦する気力と成って、無限の悦びと活力をわき起こします。
論語の「仁」や「義」の教えも同様に、学びと実行とで我が身を磨き、迷いも憂いも恐れも無い心へと、自分自身で目覚めるための方法を教えています。

論語の教え(その十一)

9月 1st, 2015 Posted in 論語 | no comment »

天(てん)を怨(うら)まず、人(ひと)を尤(とが)めず
下学(かがく)して上達(じょうたつ)す
我(われ)を知(し)る者(もの)は其(そ)れ天(てん)か

天(てん)を怨(うら)まず、人(ひと)を尤(とが)めず 下学(かがく)して上達(じょうたつ)す 我(われ)を知(し)る者(もの)は其(そ)れ天(てん)か

天(てん)を怨(うら)まず、人(ひと)を尤(とが)めず
下学(かがく)して上達(じょうたつ)す
我(われ)を知(し)る者(もの)は其(そ)れ天(てん)か

「天を怨もうとも、人を非難しようとも思わない。これまで、人間として歩むべき道を、初歩の段階から一歩一歩積み上げながら努力してきた。この事は誰よりも天が良く知っていて下さる。」
苦しい事や辛い事に巡り会った時、自分がこれまで生きてきた道を振り返り、孔子はこう言って自分に言い聞かせて、勇気を奮い(ふるい)い起こします。
「人間として歩むべき道」とは、天が人間に与えた本性を具体化したもので、「善行」と言われているものです。
父母の慈愛(じあい)、子供の孝行(こうこう)、兄姉の良友(りゅうゆう)、弟妹の恭順(きょうじゅん)、上位者の仁愛(じんあい)、下位者の忠実(ちゅうじつ)、年長者の恩恵(おんけい)、若年者の恭敬(きょうけい)、夫の義勇(ぎゆう)、妻の柔和(にゅうわ)、友の信義(しんぎ)等は、私達が毎日行っている「善行」です。
この「善行」を篤(あつ)くして行くと、天の持つ本性と一体となって、「惑(まど)わず・憂(うれ)えず・恐(おそ)れず」という、豊かな人生が実現します。
絵・矢貫栄子
文・佐藤敏彦
論語の教えを広める会
鎌倉論語会館内